トイレは流して

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050219id28.htm
公共のマナーというものは、必要性がなければ培われるものではありません。外国の人が奇異に思うからという理由では馴染まないものがあるでしょう。
「私たちはこれまでずっとこのやり方でやってきた。これのどこがいけないのか?」といわれればそれは困ったことになります。

北京市民のマナー。それはかつて、先進国の客の目には「恐るべきもの」と映った。所構わぬ大声に悩まされ、タンを踏まないように道を歩く。街路樹わきには、子供に排便させる親。入場券の窓口は、弱肉強食の世界だ。買い物をすれば釣り銭を投げ返される。車も歩行者も交通規則など眼中になく、我が道を行く。

子供に街路樹脇で排便させたり痰を吐くのが当たり前の社会だと、日本のように地べたに座るという文化は生まれなかったと思います。でも排便って大?小?

市民の反応はまだ概して冷たい。「役人は自分たちが腐敗しているくせに、国民に礼儀やマナーを教育しようなんて。笑い話にもならない」(五十代男性)との憤りの声も、結構ある。

お互い厚かましい性格のようで。そうでないとこんな大胆不敵なマナーは存在しないでしょうから。